読者のために、念を押すと──世界政府ができると、どうなりますか?
①国家間の戦争も、紛争を殺人によって解決することもなくなる。新しい世界秩序には、富の再分配が必要ですか?
何も必要ではない。自然に、自発的に、きわめて自動的に、資源の再配分が実現する。たとえば、すべてのひとが適切な教育を受けられる。すべてのひとに、受けた教育を職場で生かす機会がひらかれる。喜びをもたらすキャリアを実現することができる。そのために努力をしないひとでも、ですか?
こうしたことのために努力する必要があると考えるから、天国に行くには努力しなければならないと思う。だが、努力したって神の恵みは得られないし、また、努力する必要もない。でも、それじゃ、ひとはぶらぶらして、「福祉」にすがって、人生を浪費しませんか?それは、どうやって防ぐのですか?
第一に、何が人生の浪費かを判断するのは、あなたがたではない。七〇年間、何もせずに詩を考えていたあげく、何千人もの人びとの理解と洞察の扉を開くようなソネットを、たったひとつだけ生み出したとしたら、その人生は浪費だろうか?噓をつき、だまし、何かをもくろみ、被害を与え、あやつり、他人を傷つけて人生を過ごした男が、その結果、ほんとうの自分を──たぶん、生涯をかけて思い出そうとしていた何かを──思い出して、ついに新しいレベルに成長したとしたらどうか?この人生は「浪費」だろうか?他人の魂の旅を判定するのは、あなたの役割ではない。あなたは、自分が何者であるかを決めるべきであって、ほかの誰かが何者であるか、あるいは何者でないかを判定する必要はない。だが、ほんとうにそれでうまくいくとお思いですか?貢献をするひとたちが、しないひとたちを恨むようなことはありませんか?
そう、恨むだろうね。そのひとたちが悟りを開いていなければ。しかし、悟りに達したひとたちは、貢献をしないひとたちに大きな憐れみを感じるだろうが、恨みはしない。憐れみ?
そう。なぜなら、貢献をするひとたちは、しないひとたちが大きなチャンスと最高の栄光を失っていることを知っているから。ほんとうの自分についての最高の考えを創造し、経験するという栄光だよ。それだけでも、何もせず、怠けることに対する罰としては──もし、罰が必要ならの話だが──充分だとわかっているから。ただし、罰は必要ない。それにしても、貢献するひとたちは、自分たちの労働の果実が奪われて、怠け者に与えられることに対して、ほんとうに怒りを感じないでしょうか?
どうも、話を聞いていなかったようだな。誰でも最低限、生きていくのに必要なものを与えられる。そのために、豊かな者は、自分が得たものの一○パーセントを貢献として差し出す。所得については、開かれた市場が個々の貢献の価値を決めるだろう。いまのあなたがたの国と同じだよ。それでは、やっぱり「豊かな者」と「貧しい者」がいるんですね、いまと同じに!それじゃ、平等じゃないですよ。
しかし、機会は平等だよ。誰でも、最低限、憂いなく生きられる機会を与えられる。そして、誰でも、知識や技術を習得し、天性の才能を喜びの場で活用する機会を平等に与えられる。喜びの場?
いまは「職場」と言われているね。それでも、やっぱり「羨望」はあるんじゃないですか?
羨望はあるだろう。だが、嫉妬はない。羨望は自然な感情で、もっと多くを望む気持ちを起こさせる。二歳の幼女が、お兄ちゃんのようにドアのノブに手が届くといいな、とうらやましがる気持ちだ。べつに悪いことではない。羨望は動機づけとしてはたらく。純粋な欲望だ。偉大さの母だ。しかし、貢献しない者を支えるのに充分な貢献があることを、どうやって保障するんですか?
保障は人間性だ。人間性?
どうも誤解しているようだが、平均的な人間は、ただ生きているだけでは満足しない。第二のパラダイムの変化──霊的な変化──が起これば、偉大さを求めるインセンティヴ全体が変化する。どうすれば、そんな変化が起こるのですか?二〇〇〇年の歴史でも、起こっていないのに──。
いや、二〇億年かもしれない──。地球の歴史上、起こったことがないのに、どうして、いま起こると言えるんでしょう?
なぜなら、物質的に生存する苦労がなくなれば──わずかばかりの安定を獲得するために、力で成功する必要がなくなれば──すぐれた経験をすることそのもの以外に、すぐれたことがらを達成し、傑出し、すぐれた者になる理由がなくなるからだ。それだけで、充分な動機になるんですか?
人間の精神が昂揚する。真の機会を前にすれば、精神が下落することは決してない。魂はもっと高い経験を求めている。一瞬でもほんとうのすばらしさを経験した者は、誰でもそのことを知っている。それじゃ、力はどうですか?そういう特別な新しい秩序においても、とんでもない富と力をもった者がいるんじゃないですか。
金銭的な収入には制限がある。そうか──やっぱりそうなんだ。わたしが、そのシステムがうまくいかない理由をあげる前に、どうしてうまくいくのかを説明してくださいますか?
いいよ。所得に下限があるように、上限も設けられるだろうね。第一に、ほとんどすべてのひとは所得の一〇パーセントを世界政府に差し出す。さっき話した自発的な一〇パーセントの貢献だ。ええ……昔ながらの「平等税」ですね。
いまの時代、いまの社会では、あなたがたはまだ悟っていないから、みんなのための自発的な貢献が全員の利益になることが理解できない。そのため、税金のかたちをとる必要があるだろう。だが、さっき言ったような意識の変化が起これば、自分の所得の一部を自分から差し引いて、心をこめて差し出すのが当然だと思うようになるだろう。ひとつ、言いたいことがあるんですが、ここで口をはさんでもいいですか?
いいとも。何でも言ってごらん。この対話はとても奇妙な感じです。まさか、神さまとの対話のなかで、政治活動についての勧告をされるとは思ってもいませんでしたよ。つまり、神が単一税率制度に賛成だなんて、ひとにどう説明したらいいんでしょう?
あなたにはどうしても「税」としか考えられないらしい。神さまというのは、そういうことを判断したり、意見を言ったりしないんだと思っていました。
ちょっと待ちなさい。誤解を正しておこう。この前の対話──一冊めの対話だね──で、わたしはいろいろな質問に答えた。どうすれば人間関係がうまくいくか、正しい生き方とは何か、正しい食事についても答えたじゃないか。それとこれと、どうちがうのだろうね?さあ、わかりません。ただ、ちがう気がするんです。つまり、ほんとうに政治的意見をおもちなんですか?もしかしたら、共和党の党員証を持ってたりして?驚いちゃいますよ!神さまが共和党員だなんて。
民主党員のほうがいいと思うかい?おやおや(GoodGod)!うまい!いえ、そうじゃなくて、ノンポリのほうがぴったりくるんですよ。
わたしはノンポリだよ。政治的意見など、もってはいない。まるで、ビル・クリントンみたいだ。
そう、そうだよ!うまいことを言うじゃないか!ユーモアは大好きだ。あなたは?神さまがユーモラスだったり、政治的だったりするとは思ってませんでしたね。
それでは人間的すぎると?よろしい。もういちど、この本と一冊めの対話について、きちんと説明しておこう。ええ、わかります。そこまでは、わかっています。
わたしがここで答えている質問も、一冊めの対話で話したことも、創造的な存在としてのあなたがたがどんなふうになりたい、何をしたいと考えているかということをふまえて、聞いたり、答えたりしている。たとえば、一冊めの対話で、あなたは人間関係に成功するにはどうすればいいか、いろいろと聞いたね。覚えているかな?もちろん、覚えています。
わたしの答えに問題があると思ったか?そうしたことについて、わたしが意見を言うのは変だと思ったかい?いいえ、ぜんぜん。わたしはただ答えを読んでいただけです。
そら、わたしはあなたの質問をふまえて答えていただけだ。つまり、あなたがこれこれを望む、それを実現するにはどんな方法があるだろうと、たずねた。わたしは、それについて答えた。はい、そうでしたね。
ここでも、同じことをしているだけだ。そうですが……そうなんですが……あれとこれとは、どうもちがう感じがしてならないんです。
ここで話していることには、賛成しにくいと思うのかな?そうですねえ……。
それならそれで、いいんだよ。えっ、いいんですか?神さまに反対しても、いいんですか?
あたりまえだ。わたしが何をすると思ったのかね?ハエみたいに叩きつぶすとでも?まさか、そこまでは考えていませんでしたが。
いいかな。すべてが始まったときから、世界はずっとわたしに反対してきた。世界の誕生以来、わたしの言うとおりに従った者はほとんどいないよ。そう、そうなんでしょうね、きっと。
そうだとも。ひとがわたしの指示に従っていたら──何千年にもわたって、たくさんの師を送ってきたのだから──いまとはべつの世界になっていただろうね。だから、いま、わたしに反対したいのなら、かまわないから反対しなさい。それに、わたしが間違っているかもしれないのだし。なんですって?
それに、わたしが間違っているかもしれないのだし、と言ったのだよ。やれやれ……あなたはまさか、これを福音だと思ってるのじゃないだろうね?それじゃ、この対話を信用するなとおっしゃるんですか?
おいおい、ちょっと待ちなさい。どうも、肝心なことがわかっていないようだ。一から出なおそうか。この本は、あなた自身がつくりあげているんだよ。それで、ほっとしましたよ。具体的な指針が与えられていると、思いこむところだったな。
指針とは、あなたの心に従いなさいということだ。自分自身の魂に耳を傾けなさい。自分自身の声を聞きなさい。わたしが選択肢を、考え方を、意見を示したとしても、あなたがそれをとり入れる義務はない。反対だったら、反対すればいい。大切なことだよ。何か、あるいは誰かに対する依存を、この本への依存にすりかえるのが目的ではないのだからね。自分で考えさせたいのだ。自分自身で考えること。それがいまのわたしだ。わたしは考えているあなた、考えを声に出している、あなただ。それじゃ、この対話は至高の源から発しているのではないとおっしゃるんですか?
いやいや、もちろんそうだよ!しかし、あなたがまだ信じられないでいることがひとつある。あなたが至高の源だということだ。どうも、それがわかっていないらしい。あなたがすべてを──人生のすべてを──ここで、いま創り出しているのだ。あなたが……あなた自身が……創り出している。わたしではない。あなただ。じつは、とくにありません。どっちかというと賛成です。ただ、どうすればいいかわからないんです。
好きなようにしなさい?わからないのかな?あなたはずっとそうしてきたんだよ!オーケー、いいです……わかったと思います。とりあえず、この先の対話を続けたいですね。
よろしい。では、そうしよう。さっき、おっしゃりかけたのは……