「神へ帰る」第30章から一部抜粋(著作権配慮)

不思議な体験

 いや、またしても不思議なんだな。
この対話をしているちょうどいま、英国のブリストルで開いたスピリチュアルなイベントで出会った女性に、あなたの「たとえ話」とそっくりの物語を聞いたんですよ。これは偶然でしょうか?
ここであなたの話を聞いた直後にその女性の物語を聞いたんですから、ほんとうに信じられない気分でしたよ!ここでの風変わりな対話の中身は本当だよと誰かが・・・天使か何かが・・・この物理的な「実世界」での証拠を送ってよこしたみたいじゃないですか。
その女性の話と不思議な偶然に衝撃を覚えたので、彼女に一部始終を手紙に書いて送ってくれないか、と頼んだんです。そうしたら書いてくれた手紙がこれです。
英国のエリザベス・エヴェリットという女性の、不思議で感動的な臨死体験の物語なんですが。

  親愛なるニール
 ブリストルで過ごした週末に、わたしの経験を書いてみると約束したので、やってみました。
長くなりますが、用意はよろしいですか?
 わたしは当時二五歳で、波乱の多い生涯で初めて、ほんとうに満たされて幸せだと感じていました。
(王子さまだと思ってたくさんのカエルに口づけしたあげくに)やっと夢見る男性に出会い。ともに深く望んだ女の子を妊娠して七ヶ月半になっていたのです。
 ところがインフルエンザにかかったらしく、入院しました。
 まもなく自分が実は水疱瘡(みずぼうそう)だと気づき、ふるえあがりました。たまたまわたしは入院した病院で助産師として働いていましたので、それまで同じような妊婦が集中治療室に運ばれた例を三つほど知っていたからです。どんな治療が必要かも、「たったいま」手を打たなければならないこともわかっていました。
 ひどく不手際ではありましたが、わたしは自分の病状をなんとかしようと必死になり、本気になってくれない同僚たちに事態は深刻なんだと訴えました。
 でもまるでブラックコメディのような手違いが続いて、彼らは治療を先延ばしにし、わたしの言葉を信じてくれず、誤診し、投薬量を間違え、とうとう水疱瘡が悪化して肺の炎症を起こしてしまったのです。
 目を配っていた同僚たちは、わたしが真っ青になったのを見て、酸素レベルをチェックしたほうがいいと考え、酸素濃度計が六四パーセントを表示したのをみて仰天しました。それから大騒ぎになったのですが、なぜわたしがすでに死亡していないのかと誰もが首をかしげたほどでした。
大騒ぎで手術室に運ばれたとき、麻酔医の同僚が悲壮な調子でわたしの耳にささやきました。
「血液ガスが大変なことになっている。あなたの命にかかわるから、気の毒だけど処置分娩をしますよ。わたしの言うことがわかりますか?」
 わたしは何も言わなかったようですが、(心の中では)はっきりと叫んでいたのを覚えています。「もちろんわかるわよ。だから一週間前にそう言ったのに、あんたがたは誰もわかってくれなかったじゃないの!」
 ほんの何秒かのうちに、少なくとも10人の同僚が群がってきて、引っぱったり、押したり、突いたり、衣服を脱がせたり、ばたばたと緊急帝王切開の準備が始まりました。
 あんな恐ろしい思いをしたことはなく、「とうとうダメなんだわ」と確信しました。
 自己保存本能って強いんですね。赤ん坊の心臓の鼓動が見つからないと騒いでいるのがわかっても、わたしは何とも思わなかったんですから。
「それより、わたしはどうなるの! わたしは死にかけているのよ。お願い、どうか助けてちょうだい!」わたしは何度も叫びました・・・それも心のなかでだけだったようですが。
麻酔医が明らかにいらだった様子でかがみこみ、小声でわたしに言い聞かせました。「頼むからおちついてくれよ。もうすぐ麻酔が効くから」
さらに絶望の涙があふれ出るのを見て彼は言いました。「泣いちゃいけない。それでなくても粘膜が炎症を起こしているんだから。ますます気管挿入が難しくなるじゃないか!」
それから麻酔の処置をすませるなり、もう効果があったと思ったらしく、ほかのひとたちに、「まあまあ、そうあわてることはない、外科医はまだサンドイッチを食ってるからさ・・・」と言ったのです。
 混乱と恐怖と絶望と孤独のなかで、自分は死ぬのだ、死んでも誰も気にかけないんだと思いながら、わたしは麻酔で意識を失いました。
 手術後まもなく、(そうは見えなかったらしいのですが)意識を取り戻したわたしは、集中治療室に「寝かされている」自分に気づきました。
 まわりでおおぜいの人たちが心配そうに走りまわっていましたが、霞がかかったようにぼんやりとしか見えません・・・ただひとり、わたしの左側に立って、糊の効いたちょっと古風な白衣を着ているひとだけがべつでした。
 彼女はわたしに微笑みかけ、優しく力づけるように言ったのです。「さあさあ、このひとたちに任せておきなさい。だいじょうぶよ。みんな、何をすべきかをちゃんと知っているんですから。わたしといればあなたは安全よ。もうお眠りなさい」
 手術が無事にすんだと知ってほっとしたわたしは、彼女のあらがいがたい穏やかさに安心して、また「眠りに」落ちたのですが、そのとたん、激しい渦巻きに巻きこまれたと感じました。
 これはいったい何なの? 激しい渦にさらわれながら、わたしは次つぎに何十もの体験にぶつかりました。
 それぞれの体験は一秒ほどだったようにも一生のようにも感じられました。ある瞬間に突き刺されたかと思うと、つぎにはイヌをひき殺し、今度はマスタードガスで肺を焼かれながら沼地みたいなところを必死で逃げているかと思えば、その一瞬後には爆発で身体を粉みじんに吹き飛ばされるというぐあいです。
 その体験はイメージだけではなくて、はっきりと身体に再現されていました。すべてを見て、聞いて、味わって、嗅いでいたんです。どれも意識的な記憶はまったくありませんでしたが、なぜかどれもいつかどこかで自分におこったことだと確信していました。
 そのローラーコースターのような体験はしばらく続き、それから始まったときと同じく、唐突に終わりました。
 すべての感覚が消えて、文字どおりの無、暗闇です。はじめはほっとしました。ありがとう、ありがとう、ありがとう、そう叫びました。恐怖は薄らいで、わたしは自分の状況を推しはかりはじめました。
 暗闇。無。待ちました。無。口笛を吹いてみたり、身じろぎしてみたり、心のなかでハミングしてみたり。何もありません。じわじわとパニックが起こりかけ、疑問が浮かびました。「まさか。わたしは死んだの? そうなの? あんな目にあったあとは永遠の無で、ただわたしがあるだけ、そんなことってある?」
 パニックが激しくなります。でも何もありません。パニックのうえに怒りも激しくなりました。「どういうことなの。わたしの旅を支えてくれる明るい光も導きもないの? パパはどこ? せめて姿を見せてくれたっていいじゃないの! ああ、お願いよ。いや。助けて、お願い。わたしが何をしたっていうの? わたしは死んだの? 誰かいないの? ああ、神さま、こんなのいや、お願いです。赤ちゃんに会いたい。赤ちゃんはどうなったの? 赤ちゃんも死んじゃったの? お願いです。どうかどうかお願い。わたしは死にたくない。」
 やっぱり無です。やがてわたしは気力を失って、麻痺したように静かになりました。
「どうして、自分が死んだと思うの?」
無意識のなかで耳をそばだてました。無意識のなかで立ち直ろうともがきました。
 しっかりするのよ・・・ベッドの脇から聞こえるあの看護師の声だと気づきました。「ああ、ありがたい。いったいどこへ行ってたんですか? わたしはどこにいたの? わたし、どうなったの?」
「どうして、自分が死んだと思うの?」
「ええ、ええ、わかったわ。わかりました。わたしは死んではいない。だってあなたの声が聞こえるもの。変ねえ、麻酔の影響?」
 大げさなため息が聞こえます・・・「どうして、自分が死んだと思うの?」
 「はいはい、わかったってば、変よね。でもあなたは誰で、どうして同じことを聞きつづけるんですか?」
 「聞いたのはあなたよ。それでは・・・」
  それからへとへとになるほどの議論が始まりました。何日も続いたような気がします。
  わたしは自分がここにいるのが、その「ここ」ってのがどこにしろ、どれほど不公平で不当で残酷かとまくしたて、抗議しましたが、相手はいちいち反論します。わたしに生きる権利があるのか、わたしにはほかのひとと違う特別扱いをしてもらう資格があるのか、と問いかけるんです。
わたしはその石頭の狂人をどうしても説得できなくて、怒りで頭がくらくらしてきました。
 すると、ぱらぱらアニメが始まったんです。ご存じでしょう。案山子みたいな人間の少しずつ違う絵を描いて、ぱらぱらめくるとその人間が動いているように見える。あれです。始まったとたん、登場人物に気づきました。それはわたしの人生の映画でした。
「なるほどね!」わたしはせせら笑いました。「どこかで聞いたような話じゃないの。自分の人生を早回しで見せられるなら、わたしは死んだってことなのね」
返事はありません。ただ深いため息があって、それからガーン!
わたしはそのぱらぱらアニメのひとつひとつのシーンを感じとって、魂の底から衝撃を受けました。そのシーンは一瞬で過ぎ去るにもかかわらず、そのひとつひとつがもつ力のすべてを、まるでもういちどそれを体験しているように、しかも自分だけでなく関係者全員の魂が受けた影響を自分のなかで体験しなおしているように感じたのです。
それはわたしが意識のなかで思い出す自分の人生とは違っていました。すぐに思い出せるような印象的な出来事はほとんどありません。大きな事件を拾って綴る自伝ではなかったんです。
 たいていのシーンは生まれたときから順番に現れましたが、いくつかの出来事がつながりあっているときは、時間的にさかのぼったり先へ進んだりもしました。そうやって、それぞれの考えや行動やふるまいの結果を充分に理解させようとしているようでした。
 それはありとあらゆる感情が詰めこまれた回想シーンの集まりで、そうか、どれも神性のある側面を自分が見せたか見せられた場面だわ、と気づきました。そして、ほとんどが影響の大きかったドラマチックな出来事ではないこともわかりました。
 時間を貫いて残っているのは、一見、何でもない出来事の影響でした。ちょっとした意地悪な言葉が引き起こした痛みやつらさ、初めて補助輪なしで自転車に乗れたときの限りない喜びと達成感。
 わたしはひとつひとつのシーンにこめられた感情と真実を、まるで自分に刻印されていたかのように思い出しましたが、でもそれがどんな出来事にまつわるものだったかはよく思い出せないのです。それぞれの価値が理解されると、物理的な出来事そのものは意味を失うかのようでした。
 いま思えば、わたしは批判されているとはまったく感じませんでしたし、自分を批判しようともしませんでした・・・ただほんとうの自分を見ているのだとわかっただけです。
 ぱらぱらアニメが終わると、もうへとへとになっていました。それでもなんとか相手を説き伏せなくてはならない、生きる権利を立証しなくてはいけないとすがりつくように思っていましたが、ぱらぱらアニメのせいですっかり気力が失せていました。
 ただ子供を抱きたい、愛するひとたちと一緒にいたいという必死の思いだけが、わたしに残された武器だったのです。
 しかもその必死の願いすらも、人生の復習をさせられたせいでしぼんでしまったようでした。
なんとか反論しようとするのですが、勢いがないんです。どの主張も疑問も、完璧な応対で封じられてしまいます。ついにわたしはつぶやきました。「もういいです。あなたの勝ちよ。もう闘えません。わたしにはもう何もない。あきらめました。」
 その言葉が浮かぶか浮かばないうちに、なぜか深い安堵感に浸されました。どうせダメだと苦々しく思っていたのに、わたしの存在はあふれるような癒しに包まれ保護されて、文字通り無条件に支えられたと感じたのです。
 わたしは慈しまれ、守られ、活力を与えられました。たくさんのすばらしい魂がわたしを囲んで、みんなでわたしを安全な腕に抱きとってくれたのです。
 ふいに、わたしはそのすばらしい場所から引き離されて、不思議な体験に放りこまれました。
何がなんだかわからないまま、わたしは雪をかぶった山脈や広大な湖や森林、草原の上を飛んでいました。アメリカ先住民の上を通り過ぎましたが、その族長はわたしが見聞きしたどんなものとも違っていました。お母さんが穏やかな誇りに満ちて子供たちを見守っている姿に感動し、それからその上を通り過ぎて、遠くにある荘厳な山の頂上に向かって飛んでいきます。
その山の頂上で、わたしはガイドらしいひとと向かい合いました。彼はアメリカ先住民の族長で、その老いて皺(しわ)だらけな顔の瞳をのぞきこんだとき、残っていたすべての絶望がきれいに消えました。
 自分が深い真理を実現するのを彼が助けてくれると、わたしは全身で感じたのですが、実際問題として覚えているのは、彼が「辛抱しなくてはいけないが、あなたは三つになるだろう」と言ったことだけです。
 その瞬間、わたしは眠りに落ち、ほんの一瞬と感じたのちに集中治療室で目覚めて、それから厳しい部分が始まりました!
 わたしは部分的には薬物のせいもあって、九日間も人事不省(じんじふせい)だったと知らされました。二人の看護師には、昏睡状態のあいだに二度、呼吸停止に陥り人工呼吸器の世話になったと聞きました。
 でも、いちばん印象的だったのは、約六時間くらい、心臓の鼓動が乱れて不規則になる心房細動が続いていたということでした。その間、わたしの心臓はまるでぱらぱらアニメのように猛烈な速さで鼓動していたというのです。その「ぱたぱた鼓動」によって病状が良くなることも悪くなることもなく、またどんな処置も効果がなかったそうです。
 そして医師たちがびっくりしたことに、心房細動は突然、理由もなく解消したのでした。その時点で医師のひとりが以前扱った病例を急に思い出し、そこから始まった治療が効果をあげて、わたしの生命が救われたというわけです。
 たぶん、わたしが「あきらめて」癒しに包まれたとき、わたいの身体は治療に反応するようになり、不可欠の情報が医師たちに「与えられ」たのだと思うんです。あの族長が「辛抱しなくてはいけないが、あなたは三つになるだろう」と約束したとおり、わたしの心と身体と魂がうまく組み合わさったのでしょう。
娘のリリーはもちろん生きていて、とても元気で、生命力そのもののようです。
先日テレビを見ていたとき、昏睡状態のときに上を飛んだのとそっくりの景色が出てきました。それがどこを撮影したものだったのかを調べましたので、この八月にはそこへ行ってみる予定です。その地域のこともいろいろ知りまして、そこのひとたちと自然がわたしの癒しのプロセスの継続に役立つに違いないと思っています。
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